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ぽちお君とのさいごのお別れのLOG 2
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火葬場の話しのつづき
at 2002 05/03 08:34
私たちは、控え室に入らずにぽちおくんの煙が見えるところにいた。ぽちおくんが煙になっていく様子を、ぼんやりと見つけていたら、境内に飼われている「ボン君」が「元気出して!!!」とでも言ってるように、一回吠えた。「ボン君」に遊んでもらっているお陰で、少しだけ笑って過ごせたけれど、うさ子達が死んでもやっぱり辛いだが、ワン子は本当にきつい。
一生懸命生きてきたぽちおくんの犬生を思うと、涙が止まらない。死んでしまう日の昼間確かに元気がなかったので、家族が心配して外出している私に電話をかけてきたので、急いで大好きな牛肉を買って帰ったら、いつものようにのっそりと歩いてきて、そしていつものように一緒に楽しくご飯を食べた。
ここに来るまえ、どれほど辛い思いで生きてきたかを思うと、死んでしまった事よりも、ぽちおくんの生きてきた道の険しさに涙がでる。
正直火葬して2週間たった今でも、私は一人になるとぽちおくんが着ていた洋服を抱きしめてなく。だからなかなか日記が進まなかった。
いろいろな事を思い出しているうちに、ぽちおくんをお釜に迎えに行く時間が来た。ドアを開けると空気はまだ熱く、火葬したことが生々しい現実になって襲ってくる。
白く綺麗なぽちおくんのお骨が横たわっていた。改めてこの瞬間は無条件で涙が出る。もうもとの姿で歩いてはこない。かわいい目で見つめ返してはくれない…その現実が重くのしかかる瞬間なのだ。
火葬のために点火した瞬間、びっくりして起き上がった形跡はない。そんなことはわかっている。でも点火した時、起きてくるんじゃないかと…そう願った。
ぽちおくんのお骨を見て、係りの人は、「この子は生きられるだけの力で生きてきました。充分生きて来ました。肺や内臓にこれだけの出血が見られるので、本当に頑張ったのだと思います。」と言われた。
呼吸が停止しても心臓が動いていたのに少し後ろ足が硬くなった頃、鼻から出血していた。多分大量の止血剤でも、この子の内臓内の出血は完全にはおさまらなかったのだと思う。ワン子は最期に便を出してしまうが、その便を見たとき、黒く血液の匂いがしたので、直感的にそう思った。
死んでしまったのは、本当にぽちおくんの血管の限界だったのだと思う。実質的限界は多分3月に大量の出血をした時なんだと思った。私たちのために一生懸命生きてくれたのだと思った。係りの方はさらに「この子は、ヘルニアもあります。歯は歯槽膿漏で殆ど溶けています。」おなかの刺し傷や、吠える事の出来ない事情を説明すると「そういう飼い主だったんですね…」と寂しそうに呟いた。
そして、やはり人間のお葬式と同じように、二人ついになって骨を拾って、骨壷に詰める。係りの人は「15歳くらいだと思います。でも、もしかしたら12〜3歳くらいなのに、(苦労して生きてきたから)体が老化したのかもしれません」と言った。そうかもしれない。人に刃物で刺され、背中を何かで殴られ、声帯も手術されて、歯も削られたようになっていて、殆ど手入れらしい手入れをしてもらえなく生きてきて、轢き逃げにあって…。もし私が発見しなかったら、他のいい人でもいい可愛がってくれる人にめぐり合えなかったら、ぽちおくんは、動物保護センターに連れて行かれて、一週間の命だったのだ。
もし、出会っていなかったら、なんて悲しい一生を送っていっただろう。そう思うと一生懸命元気にふるまって生きてくれたぽちおくんが健気で可愛くてよけいに涙が出る。お骨を見て初めて、これ以上生かしておくのは、ぽちおくんにとっては残酷なのだと認識できた。
この身体を綺麗に焼いて、健康で元気な身体に生まれ変わって、私たちのところにまっすぐにおいでと、何度も何度も言い聞かせながら、ぽちおくんの骨を拾った。
私もワン子とのかかわり方は、ある程度はわかっているつもりだから、普通に生きてきた子ならば、ここまで過保護にはしないと思う。だけど基本的にぽちおくんは散歩の時間がちょっとこちらの都合で長くなったとき以外は決して部屋でおしっこをしなかった。しかる必要のないワン子だった。けれど、ぽちおくんは特別だった。苦しんで生きてきた分の何分の一でもいいから、幸せな時間を取り戻して欲しかった一心だった。
家族が見ても、他の人から見ても、私のぽちおくんにかける情熱は、すごかったと言われた。でも、15歳なら15年分ゆっくりと長く愛されるべきペットが、前の飼い主から虐待を受けてもなお、改めてであった私を信用してくれたのだから、それは私が優しいのではなく、ぽちおくんの優しさだと思っている。
家に来たばかりの頃は、不安そうにしていた。車に轢かれて怪我をしたぽちおくんが散歩できるまで、毎晩可愛い前足を握って眠った。私はベッドではなく、固い床の上に薄いマットを敷いて、ぽちおくんの前足を握って眠った。
歩けるようになってからは自由にさせていたけれど、夜中までパソコンやって起きているとぽちおくんは、キュンキュンと悲しそうに鳴いていた。そのときは必ずそばに行って前足を両手で優しく時には少し強く握って「あなたは一人じゃないのよ、おねいちまがついてるから大丈夫よ。」と必ず話し掛けた。そうすると少し目を開けて私の顔を見るとまた眠ってしまった。
そういう夜を殆ど毎日過ごした。そして家に来て半年経つ頃はもう夜泣きをする事は無くなっていた。普通のワン子に15年かけてはぐくむ愛情を一気に一年4ヶ月に集約してしまったのだから、過ごした時間が私たちにとって短い分やっぱり辛い。
動物を嫌いな人に好きになってくれとは言わない。でもいじめないで欲しい。弱い者を虐待するのはやめて欲しい。嫌いなら嫌いで遠巻きにみていてくれればいい…。かかわらないで欲しい。自分のストレスに弱い者を巻き込まないで欲しい。ぽちおくんを見て、ぽちおくんの生き様を想い、心からそう思った。
全てのお骨を拾い納めて清算するとき「この子は何回もあっているのでお友達価格で…」と通常では考えられないほど、金額も安くしてもらった。ぽちおくんが優しい子だったから、最期までみんなに優しくされて旅立っていった。そういう優しさに、また涙が出た。係りの方は、「その分おいしいものをいっぱい供えてあげて下さい」と言ってくれた。
車に乗って帰るとき、ぽちおくんのお骨をしっかりと胸に抱いて帰ってきた。かわいらしい顔もすっかり骨になり、カラカラと音を立てた。
家族が、おねいちゃんは、ぽちおくんのこといっぱい愛したから、ぽちおくんは、持ちきれないほど愛を持って旅立ったんだよといった。これ以上もっていけないよ、と言うほど持って旅立ったんだよと言った。そうかなあ。そうだったら本当に嬉しい。
きっと、ぽちおくんは、私の前のわん子ののこちゃんや、うさ子達や、バロン君や、私の家にゆかりのある子達と、楽しくはしゃいでいると思う。またこの日記をかけないでいる間も、いろいろな方に励ましてもらい、ぽちおくんを最初に診察して治療してもらった病院の先生からも、メールをいただいた。
>出会いの時からモウとっくに亡く
>なっていた筈のぽちお君が、
>更に第二の人生をここまでアンナに
>楽しく幸せに過ごせたのは、
>アリサさん達の献身的な愛情が
>あったればこそで、
>ズーット直接見てきた私には本当に
>良く尽くされたと敬服し、
>ぽちお君とともに私からも感謝致します。
>キット今頃は極楽浄土の冥界で
>苦痛も不安も無く安楽に愉しく
>駆け回って居る事でしょう。
と言う先生からのメールをいただいた。誰からも優しくされたぽちおくん…。苦労して傷ついて生きてきたけど、本当はもっと早く優しくされても良かったのに…それがとても残念に思う。
何時間も心臓が動いていて、かえって苦しかったでしょう?私のために心は生きようとしてくれたんだね。ありがとう。本当にありがとう。大好きだったぽちおくん。今までもこれからもおねいちまはあなたの事愛しているからね…生まれまわって元気になったら苦しく悲しい思いをする前に家に来るんだよ!
可愛いぽちおくん。優しいぽちおくん。おりこうぽちおくん。いつもそう言ってお散歩してたよね。いつも、ぽち君とお散歩楽しいなって歌いながらお散歩してたよね。本当に楽しかった。本当にありがとう。私の心に光をくれたのはあなたのほうだったのだから…
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嬉しい知らせなのか…
at 2002 05/05 03:35
アルポのペットフードのモニターが届いてしもた。もうぽちおくんは居ないのに。仕方ないから祭壇においてお供えしてあるけど。あともうちょっと早く来てたらあげられたのに。仕方ないから、近所のぽちおくんのお陰でお友達になれた、可愛いわん子達に配ろう。
本当は、ここでお世話になった方に差し上げたいのだが、まさかこんな事で、住所をうかがうメールも出せないし…。ここで知り合ったほむぺ友達の方には本当に支えになってもらって、感謝していますので…。気持ちはそういう気持ちですが、やはりご近所のわんこにあげよう。
会うたびにわんこの飼い主さんに優しく声をかけてもらい、身体を案じてくれた方たちの愛犬さんたちに。ぽちおくんがそうしてほしいから、当たったのかもしれないね
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うちのこグランプリHPにエントリーしました。頑張ったぽちおくんをみんなに知ってもらいたくて
at 2002 05/05 09:13
ホームページの「応援掲示板」へのリンク
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考えさせられる「犬を飼うってステキデスカ?」
at 2002 05/06 04:51
犬を飼う前に、そして犬を飼っている方も再確認していただきたいページです。
サイトに訪問する
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久しぶりにうさぎの話
at 2002 05/07 02:44
一時は11匹いたうさぎも「うさぎ特有の腫瘍」に侵される子が多く、今は三匹になってしまった。そのうち一匹は乳がんのぶうや、顔面にできるガンのチッチ、そして基本的には健康なチイコ。これだけになってしまった。
わんこのことでいっぱいになっていたけど、うさぎのガンは、自分の家で毎日膿状のガンを絞るのが日課。わんこが来てからは殆ど母上に任せっきりでしたが、毎日溜まった膿状のガンを絞る作業はやらなければいけない。
やらない日は熱が出たり、食欲が落ちるので、わずかな量でもしぼると、それだけ毒素が体を回らないという原始的な発想だが、これは非常に効果がある。ぶうやは乳ガンが発覚してから
5年ほど経つが、乳を搾る要領で乳房内に溜まった生みを出す事で年も生き長らえている。
病気になったうさぎは、非常に気の毒で、見る見るうちにガンが大きくなる。人間よりも進行が早くちょっと腫れて来たなと思って一週間もすると市販の中くらいの梅干程度に腫れ上がって来る。それに穴をあけてガンをしぼるのである。一見非常に残酷だが、それをしないとやはり早い死期。を迎える事になる
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